【被災地支援】9月16日(金)〜17日(土)名古屋駅西口下車・解散

◆9月16日(金)南三陸町、晴れ、22℃/30℃
◇5:30ホテル周辺を散策





※止まらず湧きでる水


※ホテルから海を見て、入り江側の様子。ホテルまでの道中の状況とは違いました。
YouTube動画を紹介します。【検索:宮城県気仙沼市 津波】です。気仙沼市市街中心地から今回宿泊したホテルのすぐ前を通過するまでの状況が克明に記録されています。このブログでも気仙沼市内の様子の分かる写真を少し掲載していますが、今日までにどれほどの力と時間をかけ、やっとここまできたか。想像をはるかに超える震災直後の現状があったのかがよくわかります。苦しみとその悲しみを想像する必要があります。
◇6:00起床
◇6:40集合

※朝のミーティング

※朝だ!元気だ!740kcalとの再開だ!全部食べられる者も、実際そうでない者もいました。でもきっと“朝食バイキン”なんて食べる機会があれば、これぐらい平気なんだと思います!このお弁当は、コンビニ・セブンイレブンにて販売中!ぜひどうぞ!“朝専用!全開弁当!!”として記憶します。
◇7:00発-8:05着 ※集合も早く、出発時間が早くなりました。気合がみなぎる最終日。途中、コンビニで朝食購入。
◇道中、車窓から。

※少し見慣れてきてしっまた風景。諦めではない、歩みの遅いことへの苛立ちはない…。落ち着きを取り戻しつつある日常に、ささやかな幸福を感じられる朝日だ。共に行く長く続く道の先に、必ず成し遂げられ誇り高き街がひろがるのですね!

※美しい海。


※通りすがりに気になって毎日見ていた現場。着実に片付いていました。お金はもちろんですが、力と、力を使う時間が必要なのですね。

※穏やかな海。

※今日も選抜隊2名を送り出す。

※今日も多くのボランティアが集います。

※初日の現場責任者(中央黒Tシャツの彼)との記念写真。今日は、休日のよう。現場責任者もボランティア。徳島県から来て、テント村でのテント生活。8月下旬から9月下旬までの1ヶ月の滞在予定と。初日、この2人のがんばりが、士気を高めてくれました!ボランティア同士の友情、そして強い絆が生まれました。


※今朝のラジオ体操は特養ビラ・オレンジの南さん。一生懸命リードしてくださいました。
◇9:13責任者からの説明と注意。

※今日は、活動第2日目と同じ“天王前地区”となりました。「地震津波!」避難は、高いところへ!そして、ボランティアのみなさんへとして「辛い顔をして作業をしていますと、現地の人も辛い気持ちになります!ぜひ、笑顔で活動をお願いします!」との話がありました。ボランティア活動は、元気出して、笑顔出していくのですよ!笑顔の花を咲かせ振りまいていくのですよ!
◇9:30発-9:35着
◇9:40活動開始
◇10:20休憩-10:40再開

※暑い日です。
◇11:18休憩-11:35再開
◇本日の活動状況

※遠巻きに撮影
◇12:00昼食休憩-13:00再開

※休憩中、周辺を散策。被災を免れたお堂。2日前は、離れたところからの撮影でした。

※お堂は、今もこれからもずっと見守ってくれます。今日は、お堂のすぐ前に立って撮影しました。
◇13:45休憩-14:00再開
◇14:45休憩-15:00終了

※本日の活動報告

※この広さを多くの方々は活動してきたのです。私たちもその一端を担うことができました。

※薄茶色の袋、1袋1,000円だそうです。袋も不足していますので、詰め込み使用。

※終了に際し。オレンジ色のビブス(ベスト)は、現場責任者。彼らもボランティア。

※4日間の現場活動が終了しました。この地でお亡くなりになりました方々にご冥福をお祈りし、ご遺族に対しお悔やみを申し上げると共に、4日間の活動を無事終えることができたことに感謝し、活動終了に際し黙祷を捧げました。
◇15:25発-15:35災害ボランティアセンター着

※今日で見納め。災害ボランティアセンターの雄姿!この週末、連休を利用し100名程のボランティアさんの参加が見込まれているそうです。
◇15:50発-16:05着 ※帰宅前の入浴・夕食を兼ねたホテルへ向かう道中。

※長期ボランティアさん、今日もがんばりました。大変お世話になりました。どうぞ、お体を大切に!






※旧志津川町(2005年10月1日歌津町と合併し南三陸町となる)地区にて。被災地には、お金はもちろんのこと、力と、力を使うための時間がまだまだ必要です。


※道中、ランドセルを背負った小学生を見かけました。見ているだけでこちらが励まされました。朝、バス停に並び、そして満員のバスに乗る高校生を見かけました。制服姿の高校生は、どこにでもいる今どきの高校生に見えます。しかし、どれほどのものを抱え、背負い登校しているのかと思うと苦しくなります。
◇16:15休憩:入浴・お土産購入/お土産買うのも被災地支援活動の一つ!
◇18:00夕食
◇19:15終了
◇19:30発 ※イザ!愛知名古屋へ!!
【移動行程】仙台南IC⇒東北自動車道(宮城県)⇒北関東自動車道(栃木県)⇒上信越自動車道(群馬県)⇒長野自動車道(長野県)⇒中央自動車道(長野県・岐阜県・愛知県)⇒名古屋都市高速道
◇19:35「千と千尋の神隠し」上映(124分)-21:36終了
◇21:50「ボーン・アイデンティティ」上映(119分)-0:05終了・消灯
◇21:56東北自動車道福島松川PA着-22:10発
◇22:25東北自動車道安達太郎SA給油
◆9月17日(土)名古屋、晴れ、25℃/30℃
◇0:05北関東自動車道出流原PA着-0:24発
◇3:00長野自動車道梓川SA着-3:17発
◇4:55中央自動車道恵那峡SA-5:10発



※さあ、いよいよです!
◇5:56

※まもなく到着ですよ!
※責任者朴さんより『不安漂う集団から、日を追うごとに自信を持ち、立派な専門家集団となりました。そして、ここで育んだ絆を大切にしていこう!』とありました。
◇6:10JR名古屋駅西口着

※ビラ・オレンジ職員さんのお出迎えを受けました。朝早くからありがとうございました。今度は豊橋下車組みを送り出しました!

※6日前、ここに集まり、活動が始まった記念の場所。
◇6:15名古屋下車組み解散。おつかれさまでした。

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◆《感謝》
◇運転手さんへ感謝!

※向かって左:佐川さん・右:米加田(めかた)さん。大変お世話になりました。安全・安心・安楽な運行・乗車でした。ありがとうございました。
※訂正があります。11日の行きの行程において、東京方面より40kmほど近いと書きましたが間違いでした。走行距離はむしろ長くなりますが、通行量が少なく走行しやすく、時間短縮できるとのことでした。訂正し、お詫びいたします。
◆情報として
◇地元新聞だからこそ見えてくることがありますます。参考にしてください。
三陸新報
◆活動第3日目:9月15日(木)に訪れた“伊里地区”で、昼休憩に周辺を散策していました。JR歌津駅前の坂を登ると、歌津中学校があり、その下側に伊里前小学校がありました。

※駅舎と右側の山との谷間に坂道が続きます。その先に学校があります。

※写真は、伊里前小学校。1階部分まで波に浸かったとのこと。この高さがあっても…、残念です。
※現在、被災した同町志津川小学校を迎え入れ合同での運営をしているとのこと。志津川地区は、今回宿泊した気仙沼のホテルへ向かう際、通過したところ。その被害状況から、津波の脅威をまざまざと魅せつけられました。
志津川中学校は、小学校から山側へ行ったところ。帰宅前に立ち寄ったホテルのお土産売り場にあったのが下の写真であり、広告文。この地域でのイベントだったことを知りました。

※伊里地区での活動の際、地元の方から、たくさんの方が慰問に見えていますと伺いました。この小学校は、天皇皇后両陛下が被災者慰問のために訪れた場所です。また芸能人も8月下旬にSMAP5人のメンバー全員で、またYUIらが来ていますよ!と。多くの方々が、思いを胸に、現地へ訪れているようです。
◆資料
◇9月6日事前説明会での配布資料。とても参考になりましたので紹介します。
「災害ボランティアとしての心構え/名古屋市社会福祉協議会ボランティアセンター長 中村弘佳 氏」


◇9月12日訪問先仙台楽生園施設長よりいただいた資料です。
「仙台楽生園ユニットケア施設群の東日本大震災の被害と対応について(8月11日現在)」

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◆被災地支援ボランティア活動「第1班活動を振り返り」
 今回の活動における処理とは、瓦礫と、プラスティックを含め、木片などの燃える物、鉄クズなどの金属片の3種類に大きく分けることでした。この先のことが気になっていましたがある時、私たちが活動する隣で、篩を持ってさらに細かく仕分作業をしている方々がいました。瓦礫が、復興のために使用される資材に生まれ変わった瞬間を見、腑に落ちました。私たちは、リサイクルの一端を担っていたのですね。
 被災地支援には、お金はもちろんですが、力と、その力を十分に発揮するだけの時間が必要なのです。大きな物は、重機により片付けられていますが、小ぶりなものを仕分けるにはやはり人の手、人の力でより分けることが必要なのです。大きな被害を前にしたとき、まず掻分け片付けからするでしょう。それが今なお必要なのです。現在の瓦礫の量からすれば、さまざまやることがあるでしょうが、しかし平行して行い続けなければならないのが瓦礫処理なのだと思いました。そして、重機と人の交互作業「大きく取り分け 小さく仕分け 一気に取り除く」そんな繰り返しのうちに、どんどん片付いていくのです。
「瓦礫」とは、かわらと小石のことです。また、つまらないもの。値打ちのないものともいいます。今回の活動から“瓦礫”と使うのは、“値打ちのないもの”として使用してる感が強いです。しかしこの言葉、あたたかみに欠ける言葉です。この活動を通し「瓦礫処理」という言葉が気になりだしました。これは第3者が、勝手に価値を決めつけた言葉に思えてきました。ほんの少し前まで、もしかすると処分に困っていたものかもしれません。片付かないお荷物だったのかもしれません。いや、どれも捨てられるはずもない、大切な大切なモノばかりだったと思うのです。これらは“突然思いがけず破壊された品々”であり、私たちはそれらを持ち主に代わって小さく仕分けにいったのだと振り返ります。9月20日台風15号による愛知県内の被害を前に、身近に感じてみて、甚大なる被害を受けた被災地支援活動は必然であったのではないでしょうか。お互い様であり、今は私たちがでかける番であったのだと思うのです。
 愛知県老人福祉施設協議会は、会として社会貢献に参加した画期的な出来事であり、新たな方向性、価値を示したのではないでしょうか。また、若い世代が中心となり他施設との交流により思いがけないほどの連帯、協働、そして創造へと向い、これからの愛知県老施協を担う強力な学びの場となり、強い絆までも生まれました。このような機会を用意してくださいました太田会長をはじめ会役員のみなさまのご決断、各法人理事長・施設長の後押し、被災地支援プロジェクトチーム朴幹事のご努力と実行力、そして多くのご支援をいただきました関係各位へ心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。さらに、各施設におかれましては参加職員の留守中の協力体制があってのことでした。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。さらにさらに、参加職員のご家族様には距離を越え、ともに支援活動に参加したものと同じほどの思いだったに違いありません。みなさまの思いがあってこそ無事に帰れたのだと思います。本当にありがとうございました。
 第2班のみなさまへ。さまざまなプレッシャー(!?)が沸き上がってきたことでしょう…。前述の思いを確かめるように現地を見て、肌で感じてきて下さい。健康に留意し、私たちのできることを、被災地のみなさまのためにさせていただきましょう。ご健闘をお祈りいたします。
 最後になりましたが、このブログをオープンし、この機能を幾ばくか有効に活用できたことをうれしく思っています。ご覧をいただき、ご声援をいただきましたこと深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。愛知県老施協は、さまざまな活動をしています。情報発信に努め、少しでも老人ホームのことを知っていただくことが介護のイメージアップに繋がる機会のひとつと考えます。21世紀委員会、広報委員会の活動を今後共よろしくお願いいたします。
 愛知県老施協21世紀委員・広報委員
 ケアハウスコムネックスみづほ 施設長 波多野共八

◇記念撮影

※訪問先施設にて。

※9月13日、現場活動初日を記念して。

※選抜隊2名と“仙人”こと現場責任者。この方もボランティア。

※1班

※2班

※3班

※4班

【被災地支援】9月14日(水)夕食〜9月15日

◇17:15ホテル到着




※市街の様子。『路面冠水時通行止め』、地盤沈下によるもの。毎夕見てきたように思います。対岸の奥に大きな漁港が続いています。

◇18:00夕食

※男たちの合宿所!記念撮影。25日夜出発の第2班の皆様へ。この生活をイメージ願います。合宿!合宿!

※3班リーダー特養輪中の郷伊藤さんからの一言に続き「いただきます!」
※昨日、2班リーダー様の写真を撮り忘れましたことお詫び致します。
 特養第2さわらび荘白井様でした。お名前のご紹介にかえさせていただきます。

※本日の夕食

※反省会と連絡/本日の活動終了。

◆9月15日(木)南三陸町、くもり、22℃/27℃
◇6:00起床
◇6:35朝食

※ほかほかおいしい740kcal!このおいしさに、朝はこれでないとダメな身体になってしまったような気がします。いただきます。
◇7:03発-8:15災害ボランティアセンター着

※道中、車窓から見える風景も見慣れてきましたが、昨日よりも今日確実に美しい街へと回復しています。


※このように装飾したトラック、バスを見かけます。
◇8:20しばしの別れ…。


※山本さん、沖田さんは、昨日に引き続き個人宅へ向かうことに。みんなで送り出しました。愛知県老施協の誇りです!

※後に報告をいただいた写真に、過酷さが見えました。縁の下の石灰撒き!白くなるのを防ぐための着衣でした。
◇8:25体操の時間

※夕食時の反省会より、活動前の体操を取り入れてほしいとのこと実施。昨日は、朴さん担当。今朝は、朴さんご指名で、特養ウエルコートみづほ平林さん。「昨日は、YouTubeでラジオ体操を見て準備してきました!」と。明日は、特養ビラ・オレンジ南さんです。
◇待機時間


※私たちの活動期間中、個人参加はもちろん、多くの企業、グループが参加していました。一部を紹介します。株式会社半導体エネルギー研究所被災地ボランティア派遣隊(こちらは私たちとほぼ同じ日程でした。その活動を称え上掲載小さくですが、記念撮影をされていましたので、こっそりご紹介させていただきます。)、ガゼル株式会社ボランティアツアー、プルデンシャル生命保険株式会社横浜支社、JXグループ復興支援ボランティア活動、石川県信用金庫協会
◇8:50集合

※今日は、伊里地区。

※オレンジ色ビブス着用現場リーダー左:ハシモトさん、サブリーダー右:カミヤマさん。
◇9:00発-9:15着

※《これより先 津波浸水想定区域》この看板をよく見ました。


※車窓より
◇9:20活動開始
※活動前の注意説明の際、昨日ここで人骨が見つかりましたとのこと。6ヶ月経っても、彷徨う方々はいるのですね。「私たちで見つけ出してあげよう!」と、黙祷を捧げ活動を始めました。
◇10:10休憩-10:30再開
◇11:20休憩-11:35再開 ※休憩はこまめに有ります。水分補給が大切!
◇12:00昼休憩-13:00再開
※休憩の時間を使い、

※復興を見つめ、見守っていてくれます。

※南三陸歌津保健センターの被害



※JR気仙沼線の復旧を願います。

歌津駅ホームより。この高さまで波は来ました。

アサガオもコスモスもススキも、復興を見つめ、見守っていてくれます。
◇13:55休憩-14:10再開
◇14:45休憩-15:00再開

※遠巻きに撮影

※本日の活動報告です。
◇15:30活動終了

※終了時、私たちが立つ向こうを小学生が乗車するスクールバスが行くその車内から、手をいっぱい振ってくれる子どもたちの姿が見えました。とても嬉しくて、手を振り返しました。作業の途中、小さなお子さんが、ママの運転する車の窓から「がんばってね!」と声をかけてくれました。車で通り過ぎるおじさんが「ごくろうさまです!」と声をかけてくれました。私たちにできることをさせていただいたまでです。
今回の活動中、行き交うパトカーに手を振る自分がいました。敬礼してくださる警察官がいました。
◇15:43災害ボランティアセンター着

※長期滞在型ボランティアさんたちが泊まるテント村。今日も彼らは、がんばりました。

※本日の活動地区。ゆびで指すところ。左黄色の印が、災害ボランティアセンター。


※出発までに時間があり、館内を見学。

※不明遺体情報。遺体の特徴が記されています。高齢者が多かったように思います。中には、衣類を着用されていない状態の方、遺体の損傷のある方などが見受けられました。また女性のほうが多いように思いました。

※今日も海は、穏やかです。
◇16:05発-17:30ホテル着
◇18:00夕食-反省会

※「いただきます!」は、4班リーダーケアハウスコムネックスみづほ波多野でしたが撮影をお願いしませんでしたので名前の紹介のみとなります。
※夕飯の写真を撮り忘れました。グルメのみなさんすみませんでした。ちなみに、メニューは、ハンバーグでした!忘れた理由は、「いただきます!」前の“一言”に気を取られていたためです…。
◇18:45サプライズ!

※特養第2さわらび荘白井さんから、「同西崎さんの誕生日(9月13日)を遅ればせながらお祝いしたく、みんなでハッピーバースデイを歌いたいです!」との提案がありました。

※一同賛成で、大合唱!照れる西崎さんでした。
/本日の活動終了。

【被災地支援】9月14日(水)

◆9月14日(水)南三陸町、くもり一時弱い雨、22℃/25℃
◇6:00起床

※今朝の旅館からの気仙沼の表情
◇6:35朝食

※あたたかな740kcalは、肉体労働には欠かせません。
◇7:05出発-8:20災害ボランティアセンター着 ※途中コンビニで昼食購入
◇8:40ボランティア集まりつつあり。



※今日は“天王前”地区へ。この振分けチームで約80名程。

※山本さん、沖田さんは、別地区個人宅での活動となる。活動は、縁の下での作業。小柄が人選理由。送り出す我々も不安を抱いたが、後に選ばれた2人からも、我々のことを気にかけていたことを知る。
◇9:30活動開始
※本日は、個人宅にて。家の基礎コンクリートのみが残る状態。細かな、土砂をかき出し、瓦・ガラス・陶器・岩のガレキ類、鉄クズ、紙・プラスティックなど燃えるものに分ける。
※お宅の玄関には、お花が手向けられ、手を合わせてからの活動開始となりました。
※活動地は、個人宅、または個人宅も含む地域であり、被災者への配慮により活動中の写真撮影は、禁止との注意をうけています。よって、昨日、本日、そして以降も活動中の様子において、特定できる状況の撮影は差し控えています。
◇10:45-11:00休憩
◇12:00-13:00休憩


※遠巻きに撮影。
◇15:00活動終了


※今回の活動場所の海側には、ガレキが大きな山となって積まれていいます。今日の活動は、大きな重機での作業後の人でしかできない作業。連携が必要であり、これからも継続する必要が現地にはあります。

津波の直接の被害はなく、この地区を古くから見守るお堂。この位置、この高さの意味を考えさせるものでした。これからも、私たちを見守り続けてくれるのですね。
◇15:20現地発-15:30災害ボランティアセンター着

志津川商工団地内に活動拠点はあります。この地区に、現在多くの借り事務所が身を寄せています。

※主道路沿い脇に移動式郵便局開設。その奥に長期滞在者用テント村。

※無事合流。こちらの活動も、お線香をあげてからの活動となりました。被災地は、被害を受けた人、個人個人が多くいるところ。決してまとめて語れるところでないことに気付かされました。

南三陸町の地図。ゆびの指した所が、本日の活動地区「天王前」。ピンク色は、現在地。

※こちらは、昨日の活動地区「旭ケ浦」。
※蛍光黄色のビブス(ベスト)返却。
◇記念撮影。気分を新たに。そして士気をを高め!
※ここでの撮影が唯一認められています。

※1班

※2班

※3班

※4班

※ハイタッチ!
◇15:40発旅館へ-17:15着

※くもりながら、穏やかな海。

※車中。 こんな中にも、気をきかせて♪綾小路きみまろ第4集♪を聞いてリラックス。

☆夕食以降続く☆

【被災地支援事業】9月12日(月)施設訪問後〜9月13日(火)第2日目

◇10:35施設訪問後、太田会長は仙台楽生園からすぐの北仙台駅にて下車。
 午後岩手県老施協へ、明日13日福島県老施協へ訪問。義援金目録贈呈の予定。
◇11:26東北自動車道長者原SA着-12:00発 ※昼食休憩

※車中から見える家々の屋根には、内陸の地でも現状数%程度には見えるが、こうしてブルーシート等で補修していた。





南三陸町内、災害ボランティアセンターまでの道中にて
◇13:40南三陸町スポーツ交流村内災害ボランティアセンター着-13:55発




※総合体育館ベイサイドアリーナも写真では分かりにくいが屋根など破損がみられる。


※メッセージ

※JR気仙沼線の被害。道すがらその状況が分かりました。

※穏やかで美しい海。

※積み上がる車。
※災害ボランティアセンターから気仙沼宿泊旅館までの道中にて
◇15:30宿泊所ホテル望洋着

※震災の影響はあるものの、津波の被害は免れたとのこと。津波対策には、この高さが必要か。
◇16:30反省会/ミーティング・22名を4班に編成。

◇18:00夕食 ※夕食前1班班長ケアハウス陽だまりの里中野さん今日の一言をお聴きし「いただきます。」


※本日の夕飯。
※食後解散

◆9月13日(火)仙台市:晴れ、22℃/29℃
◇6:00起床
◇6:40朝食

※私たちは、みなこのメニュー。あたたか、740kcal!
◇7:10発 ※7:50コンビニにて、昼食買い出し


※旅館前の景色

気仙沼−南三陸
◇8:30災害ボランティアセンター着、集合



※ベスト着用。


※オレンジ色のベスト着用が現場責任者。この方々も、ボランティア。長期滞在者であり、周辺にテントで暮らしている。
※活動場は“旭ケ浦”に決定。
◇9:10

※責任者の方から説明を受ける。
◇9:30活動開始

※深さ1.5mほどの溝の泥出し。この状態は、以前のボランティアさんの活動後の成果。向こうに見える階段は、避難路。地震(=津波)の際は、こちらから避難してくださいと。





◇12:00昼休憩-13:00再開


※手前の泥の山が、一日の成果。しかし、その数百倍が後ろの山。それでも、今日の活動がなければ、いつまでもこの泥は、残ったままになる。

※ボランティアカー
◇15:00終了-片付け-集合


※さまざまな団体が参加中。
◇16:00災害ボランティアセンター発-17:20旅館着 
※途中コンビニ下車





※海岸に積まれた、黒い仮設堤防。延々と長く続いています。



※積み上がるガレキ。すさまじい量の山。
◇18:00夕食-食後反省会


◇18:40解散

【被災地支援事業】9月11日(日)出発〜9月12日(月)第1日目

◆9月11日(日)名古屋・晴れ、25℃/32℃
◇20:30名古屋駅西口噴水前集合



  ☆出発にあたり、差入れ、お見送りありがとうございました。
◇20:55出発
【移動行程】名古屋都市高速道路中央自動車道(岐阜県)⇒長野自動車道(長野県)⇒上信越自動車道(新潟県)⇒北陸自動車道磐越自動車道(福島県)⇒東北自動車道(宮城県) ※東京経由より距離にして40kmほど短いとのこと。
◇21:00打ち合わせ-車中、太田会長宮城県まで同乗 
◇21:38「借りぐらしのアリエッティ」車中上映
◇21:53恵那峡SA着-22:10出発


◆9月12(月)仙台・晴れ、21℃/30℃
◇0:20長野自動車道姥捨SA着-0:34発
◇3:35磐越自動車道阿賀野川SA着-3:45発
◇4:55磐梯山SA着-5:08発

◇6:25東北自動車道国見SA着-7:56発 ※朝食休憩
 
※米どころ
◇9:11着 社会福祉法人仙台市社会事業協会仙台楽生園ユニットケア施設群訪問

 
※右端:佐々木施設長

義援金目録贈呈】
仙台市老施協高橋治会長

宮城県老施協西沢優李子会長
 -10:30発

◇午後の活動分より、続く…。

【被災地支援事業】事業内容と壮行会について

◆愛知県老人福祉施設協議会 東日本大震災 被災地支援事業について
愛知県老人福祉施設協議会(会員施設370施設。会長 太田二郎、特別養護老人ホーム まどかの郷 施設長。以下、愛知県老施協)は、東日本大震災によって甚大な被害を受けた被災地へ、独自の有意義な被災地支援を行うべく、以下のような被災地支援事業を行います。

1.義援金募金 震災発生直後より会員施設へ義援金の募金を呼びかけ、その募金は全国老施協などを通じて、被災された方々や地域へおくられます。(義援金額7月末現在2,000万円余)

2.被災した施設と職員を支援する、長期(2週間)の支援職員派遣(名古屋市老施協との共同事業)
 1)期間:7月から年末までの14日間
 2)派遣人数:20名(10施設)
 3)活動内容:介護施設における通常勤務内容
 4)派遣者:ベテラン、リーダークラスの介護職員

3.被災した施設やその地域の泥出し等、短期(5日間)一般災害ボランティア派遣
 1)期間
第一班 9月12日(月)〜16日(金) (9月11日夜JR名古屋駅付近にて集合。現地までバスにて移動。12日午前に現地着。9月16日活動後バスにて移動。17日朝にJR名古屋駅付近に着後、解散)
第二班 9月26日(月)〜30日(金) (9月25日夜JR名古屋駅付近にて集合。現地までバスにて移動。26日午前に現地着。9月30日活動後バスにて移動。10月1日朝にJR名古屋駅付近に着後、解散)
 2)派遣人数 各班40名(20施設) 計80名(40施設)
 3)派遣地域 宮城県気仙沼市南三陸町
 4)活動内容 泥出し、がれき撤去、清掃、引越し手伝い等
 5)派遣者 体力、精神力に自信のある者(職種、年齢、性別は不問) 

なお、9月6日(火)に派遣のための壮行会が行われ、活動の様子については、来年2月の愛知県老人福祉施設大会にて紹介されます。

これらの支援活動・事業は、愛知県老施協の会員施設と協賛企業様、及びこのために協力してくださるすべての皆様方のご理解、ご協力によって運営されます。より一層のご協力をお願い申し上げると共に、これらへのご理解を心より感謝申し上げます。

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◆愛知県老人福祉施設協議会 被災地支援事業 災害ボランティア派遣
〜目に見えないタスキをつなげていこう〜 走行会
日時:平成23年9月6日(火)午後3:00〜3:45
場所:アイリス愛知

【会長激励の言葉】
支えあうこと!
つながり合うこと!
まとまること!

いま、日本社会には、「東日本大震災」以降、“まとまる気運”が高まっています。多くの人々が「この災害を人の問題とせず、自分の問題として考えよう」としています。これが、「社会連帯意識」です。
愛知県老施協も、「社会連帯意識」を持って、“仲間の力”を結ぼうではありませんか!“つながろう”ではありませんか!
大事なことは、“乗り越えようとすること”です。
すべてを失っても、未来だけはまだ残っています。
皆さんの力を、愛知県老施協の勇気と希望を、未来に届けてくれることを信じて、愛知県老施協 災害ボランティア隊 を送り出します。
がんばろう!ニッポン!
愛知県老施協 会長 太田二郎


【派遣隊 班長決意の言葉】
「私たちにできること」
「愛知県老施協の出番ですよ!」そんな声が聞こえてきたのではないでしょうか。あの東の空の向こうから…。この企画を、お取りまとめいただいた太田会長をはじめ関係のみなさまには、改めて心より感謝を申し上げます。ありがとうございます。愛知県老施協の連帯・連携を強く印象づけるものともなりました。
このボランティア派遣の応募理由に、特別なものはありませんでした。「ただただ、何かしたい…」そんな「思い」だけでした。この企画を目にして、こんな機会を逃せるわけがなかったのです。この駆り立てる気持ち、そうさせる思いこそ何なのか、ここで述べるべきでしょう、しかし、明確に言葉で表すことはできないままでいます。
今回の震災について振り返ると、私は6月にこんな思いを綴っておりました。抜粋します。
〜今回の震災報道の中で、特に気になったものがあります。それは、読売新聞4月12日付朝刊1面の「編集手帳」欄に、同3月31日朝刊1面に掲載された内容を紹介する記事を目にしたところから始まりました。一節には、こうあります。
≪このひと月、胸を突かれた記事を切り抜く暇のないまま、破ったなりに机へ積み上げてある。岩手県宮古市昆愛海(こんまなみ)ちゃん(4歳)の記事は、何度、手に取ったか分らない 両親と妹が津波にさらわれた。親戚の家に身を寄せた愛海ちゃんは、こたつの上にノートをひろげ、母親に手紙を書きはじめたという。「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」。1文字ずつ、色鉛筆で1時間ほどかけて書いたといい、そこまで書いて疲れたのだろう。ノートを枕にすやすや眠る、あどけない寝顔の写真が載っている≫昼休憩に施設のちょっと古い新聞を読んでいてのことでした。すぐ3月31日の朝刊を取り出しどんなものだったのかを確かめました。愛海ちゃんは背負っていた通園用のリュックが漁に使う網に引っかかって助かったとのこと…。この記事には、まだ続きがあります。同5月10日朝刊号に、誕生日を前にその後の様子が綴られています。ときどき取り出して見る母親の写真に『ママ、かわいいね』と話しかけるのだそうです。この震災により、多くの方々が悲しみに暮れながらも、しっかりと生きているのです。「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」私はこの言葉を何度もつぶやき、つぶやいては励まされました。想像ですが愛海ちゃんには、本当のことがまだわからないのではないでしょうか。しかし、いなくなってしまった母への精一杯のいたわりが感じられます。子どもなりの優しさにふれ読む側の涙は、止まらなくなりました。悲しみを胸に、たくましさを奮いたて、私のできる復興への道を前へと進んでいきたい。〜                                     
自分への誓いを思い出しました。今回の企画は、この時の思いに触れる出来事の一つだったのです。
参加したくともできない方々の思いを胸に、参加することに快く、むしろ応援までして送り出してくださる方々の期待にめがけ、私たちは「祈り」、「願い」、そして「思い」を実行に!私たちにできることをしてまいります。
この活動、公式には来年2月開催されます愛知県老施協大会にて報告されますが、それに先立ち、愛知県老施協公式ホームページ内に8月2日オープンいたしました公式ブログにて随時職員目線での活動報告をしていく予定です。公式ブログでのチェック、応援をどうぞよろしくお願いいたします。3月11日からちょうど6ヶ月目の9月11日の夜出かけます。では、行ってまいります。
愛知県老施協21世紀委員会/ケアハウスコムネックスみづほ 施設長 波多野共八


【被災地支援プロジェクトチーム 幹事の言葉】

☆後日掲載☆


【協賛企業代表感謝状贈呈】株式会社LEOC