【被災地支援】9月16日(金)〜17日(土)名古屋駅西口下車・解散

◆9月16日(金)南三陸町、晴れ、22℃/30℃
◇5:30ホテル周辺を散策





※止まらず湧きでる水


※ホテルから海を見て、入り江側の様子。ホテルまでの道中の状況とは違いました。
YouTube動画を紹介します。【検索:宮城県気仙沼市 津波】です。気仙沼市市街中心地から今回宿泊したホテルのすぐ前を通過するまでの状況が克明に記録されています。このブログでも気仙沼市内の様子の分かる写真を少し掲載していますが、今日までにどれほどの力と時間をかけ、やっとここまできたか。想像をはるかに超える震災直後の現状があったのかがよくわかります。苦しみとその悲しみを想像する必要があります。
◇6:00起床
◇6:40集合

※朝のミーティング

※朝だ!元気だ!740kcalとの再開だ!全部食べられる者も、実際そうでない者もいました。でもきっと“朝食バイキン”なんて食べる機会があれば、これぐらい平気なんだと思います!このお弁当は、コンビニ・セブンイレブンにて販売中!ぜひどうぞ!“朝専用!全開弁当!!”として記憶します。
◇7:00発-8:05着 ※集合も早く、出発時間が早くなりました。気合がみなぎる最終日。途中、コンビニで朝食購入。
◇道中、車窓から。

※少し見慣れてきてしっまた風景。諦めではない、歩みの遅いことへの苛立ちはない…。落ち着きを取り戻しつつある日常に、ささやかな幸福を感じられる朝日だ。共に行く長く続く道の先に、必ず成し遂げられ誇り高き街がひろがるのですね!

※美しい海。


※通りすがりに気になって毎日見ていた現場。着実に片付いていました。お金はもちろんですが、力と、力を使う時間が必要なのですね。

※穏やかな海。

※今日も選抜隊2名を送り出す。

※今日も多くのボランティアが集います。

※初日の現場責任者(中央黒Tシャツの彼)との記念写真。今日は、休日のよう。現場責任者もボランティア。徳島県から来て、テント村でのテント生活。8月下旬から9月下旬までの1ヶ月の滞在予定と。初日、この2人のがんばりが、士気を高めてくれました!ボランティア同士の友情、そして強い絆が生まれました。


※今朝のラジオ体操は特養ビラ・オレンジの南さん。一生懸命リードしてくださいました。
◇9:13責任者からの説明と注意。

※今日は、活動第2日目と同じ“天王前地区”となりました。「地震津波!」避難は、高いところへ!そして、ボランティアのみなさんへとして「辛い顔をして作業をしていますと、現地の人も辛い気持ちになります!ぜひ、笑顔で活動をお願いします!」との話がありました。ボランティア活動は、元気出して、笑顔出していくのですよ!笑顔の花を咲かせ振りまいていくのですよ!
◇9:30発-9:35着
◇9:40活動開始
◇10:20休憩-10:40再開

※暑い日です。
◇11:18休憩-11:35再開
◇本日の活動状況

※遠巻きに撮影
◇12:00昼食休憩-13:00再開

※休憩中、周辺を散策。被災を免れたお堂。2日前は、離れたところからの撮影でした。

※お堂は、今もこれからもずっと見守ってくれます。今日は、お堂のすぐ前に立って撮影しました。
◇13:45休憩-14:00再開
◇14:45休憩-15:00終了

※本日の活動報告

※この広さを多くの方々は活動してきたのです。私たちもその一端を担うことができました。

※薄茶色の袋、1袋1,000円だそうです。袋も不足していますので、詰め込み使用。

※終了に際し。オレンジ色のビブス(ベスト)は、現場責任者。彼らもボランティア。

※4日間の現場活動が終了しました。この地でお亡くなりになりました方々にご冥福をお祈りし、ご遺族に対しお悔やみを申し上げると共に、4日間の活動を無事終えることができたことに感謝し、活動終了に際し黙祷を捧げました。
◇15:25発-15:35災害ボランティアセンター着

※今日で見納め。災害ボランティアセンターの雄姿!この週末、連休を利用し100名程のボランティアさんの参加が見込まれているそうです。
◇15:50発-16:05着 ※帰宅前の入浴・夕食を兼ねたホテルへ向かう道中。

※長期ボランティアさん、今日もがんばりました。大変お世話になりました。どうぞ、お体を大切に!






※旧志津川町(2005年10月1日歌津町と合併し南三陸町となる)地区にて。被災地には、お金はもちろんのこと、力と、力を使うための時間がまだまだ必要です。


※道中、ランドセルを背負った小学生を見かけました。見ているだけでこちらが励まされました。朝、バス停に並び、そして満員のバスに乗る高校生を見かけました。制服姿の高校生は、どこにでもいる今どきの高校生に見えます。しかし、どれほどのものを抱え、背負い登校しているのかと思うと苦しくなります。
◇16:15休憩:入浴・お土産購入/お土産買うのも被災地支援活動の一つ!
◇18:00夕食
◇19:15終了
◇19:30発 ※イザ!愛知名古屋へ!!
【移動行程】仙台南IC⇒東北自動車道(宮城県)⇒北関東自動車道(栃木県)⇒上信越自動車道(群馬県)⇒長野自動車道(長野県)⇒中央自動車道(長野県・岐阜県・愛知県)⇒名古屋都市高速道
◇19:35「千と千尋の神隠し」上映(124分)-21:36終了
◇21:50「ボーン・アイデンティティ」上映(119分)-0:05終了・消灯
◇21:56東北自動車道福島松川PA着-22:10発
◇22:25東北自動車道安達太郎SA給油
◆9月17日(土)名古屋、晴れ、25℃/30℃
◇0:05北関東自動車道出流原PA着-0:24発
◇3:00長野自動車道梓川SA着-3:17発
◇4:55中央自動車道恵那峡SA-5:10発



※さあ、いよいよです!
◇5:56

※まもなく到着ですよ!
※責任者朴さんより『不安漂う集団から、日を追うごとに自信を持ち、立派な専門家集団となりました。そして、ここで育んだ絆を大切にしていこう!』とありました。
◇6:10JR名古屋駅西口着

※ビラ・オレンジ職員さんのお出迎えを受けました。朝早くからありがとうございました。今度は豊橋下車組みを送り出しました!

※6日前、ここに集まり、活動が始まった記念の場所。
◇6:15名古屋下車組み解散。おつかれさまでした。

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◆《感謝》
◇運転手さんへ感謝!

※向かって左:佐川さん・右:米加田(めかた)さん。大変お世話になりました。安全・安心・安楽な運行・乗車でした。ありがとうございました。
※訂正があります。11日の行きの行程において、東京方面より40kmほど近いと書きましたが間違いでした。走行距離はむしろ長くなりますが、通行量が少なく走行しやすく、時間短縮できるとのことでした。訂正し、お詫びいたします。
◆情報として
◇地元新聞だからこそ見えてくることがありますます。参考にしてください。
三陸新報
◆活動第3日目:9月15日(木)に訪れた“伊里地区”で、昼休憩に周辺を散策していました。JR歌津駅前の坂を登ると、歌津中学校があり、その下側に伊里前小学校がありました。

※駅舎と右側の山との谷間に坂道が続きます。その先に学校があります。

※写真は、伊里前小学校。1階部分まで波に浸かったとのこと。この高さがあっても…、残念です。
※現在、被災した同町志津川小学校を迎え入れ合同での運営をしているとのこと。志津川地区は、今回宿泊した気仙沼のホテルへ向かう際、通過したところ。その被害状況から、津波の脅威をまざまざと魅せつけられました。
志津川中学校は、小学校から山側へ行ったところ。帰宅前に立ち寄ったホテルのお土産売り場にあったのが下の写真であり、広告文。この地域でのイベントだったことを知りました。

※伊里地区での活動の際、地元の方から、たくさんの方が慰問に見えていますと伺いました。この小学校は、天皇皇后両陛下が被災者慰問のために訪れた場所です。また芸能人も8月下旬にSMAP5人のメンバー全員で、またYUIらが来ていますよ!と。多くの方々が、思いを胸に、現地へ訪れているようです。
◆資料
◇9月6日事前説明会での配布資料。とても参考になりましたので紹介します。
「災害ボランティアとしての心構え/名古屋市社会福祉協議会ボランティアセンター長 中村弘佳 氏」


◇9月12日訪問先仙台楽生園施設長よりいただいた資料です。
「仙台楽生園ユニットケア施設群の東日本大震災の被害と対応について(8月11日現在)」

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◆被災地支援ボランティア活動「第1班活動を振り返り」
 今回の活動における処理とは、瓦礫と、プラスティックを含め、木片などの燃える物、鉄クズなどの金属片の3種類に大きく分けることでした。この先のことが気になっていましたがある時、私たちが活動する隣で、篩を持ってさらに細かく仕分作業をしている方々がいました。瓦礫が、復興のために使用される資材に生まれ変わった瞬間を見、腑に落ちました。私たちは、リサイクルの一端を担っていたのですね。
 被災地支援には、お金はもちろんですが、力と、その力を十分に発揮するだけの時間が必要なのです。大きな物は、重機により片付けられていますが、小ぶりなものを仕分けるにはやはり人の手、人の力でより分けることが必要なのです。大きな被害を前にしたとき、まず掻分け片付けからするでしょう。それが今なお必要なのです。現在の瓦礫の量からすれば、さまざまやることがあるでしょうが、しかし平行して行い続けなければならないのが瓦礫処理なのだと思いました。そして、重機と人の交互作業「大きく取り分け 小さく仕分け 一気に取り除く」そんな繰り返しのうちに、どんどん片付いていくのです。
「瓦礫」とは、かわらと小石のことです。また、つまらないもの。値打ちのないものともいいます。今回の活動から“瓦礫”と使うのは、“値打ちのないもの”として使用してる感が強いです。しかしこの言葉、あたたかみに欠ける言葉です。この活動を通し「瓦礫処理」という言葉が気になりだしました。これは第3者が、勝手に価値を決めつけた言葉に思えてきました。ほんの少し前まで、もしかすると処分に困っていたものかもしれません。片付かないお荷物だったのかもしれません。いや、どれも捨てられるはずもない、大切な大切なモノばかりだったと思うのです。これらは“突然思いがけず破壊された品々”であり、私たちはそれらを持ち主に代わって小さく仕分けにいったのだと振り返ります。9月20日台風15号による愛知県内の被害を前に、身近に感じてみて、甚大なる被害を受けた被災地支援活動は必然であったのではないでしょうか。お互い様であり、今は私たちがでかける番であったのだと思うのです。
 愛知県老人福祉施設協議会は、会として社会貢献に参加した画期的な出来事であり、新たな方向性、価値を示したのではないでしょうか。また、若い世代が中心となり他施設との交流により思いがけないほどの連帯、協働、そして創造へと向い、これからの愛知県老施協を担う強力な学びの場となり、強い絆までも生まれました。このような機会を用意してくださいました太田会長をはじめ会役員のみなさまのご決断、各法人理事長・施設長の後押し、被災地支援プロジェクトチーム朴幹事のご努力と実行力、そして多くのご支援をいただきました関係各位へ心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。さらに、各施設におかれましては参加職員の留守中の協力体制があってのことでした。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。さらにさらに、参加職員のご家族様には距離を越え、ともに支援活動に参加したものと同じほどの思いだったに違いありません。みなさまの思いがあってこそ無事に帰れたのだと思います。本当にありがとうございました。
 第2班のみなさまへ。さまざまなプレッシャー(!?)が沸き上がってきたことでしょう…。前述の思いを確かめるように現地を見て、肌で感じてきて下さい。健康に留意し、私たちのできることを、被災地のみなさまのためにさせていただきましょう。ご健闘をお祈りいたします。
 最後になりましたが、このブログをオープンし、この機能を幾ばくか有効に活用できたことをうれしく思っています。ご覧をいただき、ご声援をいただきましたこと深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。愛知県老施協は、さまざまな活動をしています。情報発信に努め、少しでも老人ホームのことを知っていただくことが介護のイメージアップに繋がる機会のひとつと考えます。21世紀委員会、広報委員会の活動を今後共よろしくお願いいたします。
 愛知県老施協21世紀委員・広報委員
 ケアハウスコムネックスみづほ 施設長 波多野共八

◇記念撮影

※訪問先施設にて。

※9月13日、現場活動初日を記念して。

※選抜隊2名と“仙人”こと現場責任者。この方もボランティア。

※1班

※2班

※3班

※4班