【被災地支援】第2班活動報告/9月25日(日)〜28日(水)

【被災地支援ボランティア 第2班の活動報告】

◆<9月25日(日)>
◇「いよいよか…」の気持ち高ぶる中、20時頃より参加のメンバーが名古屋駅太閤口に集まり始めました。
太田会長や特養かわいの里鈴木久美施設長も見送りに来られました。
本当に感謝です。

◇時間となり、朴施設長の説明、そしてこの班のリーダー渡辺施設長からのお話しと続き、いよいよ参加者はバスへ


※やや緊張している参加者…と思いきや、結構みんなフランクな感じでした。
うーん、何とも心強い!

◇なかなか寝付けないものの、バスは被災地に向け走ります。
途中、バス内で映画「紅の豚」を上映しました。 

◆<9月26日(月)>
◇午前6時10分、福島県宮城県の県境「国見」SAに到着
ここで、参加者全員朝食となりました。
カレーやカツどん、ラーメンなど決して朝食向きとは言えないメニューでしたが、みんな食べていましたよー!
かつ丼とラーメンのセット」!! “えっ、セット!?”

◇午前9時、仙台楽生苑に到着
佐々木施設長より、この度の震災の被災状況やボランティアの活動についてお話しがありました。
「お忙しい中、本当にありがとうございました」


※やや長時間バスに乗っていたため疲れてはいましたが、みんな佐々木施設長の言葉に真剣に耳を傾けていました


※これは、参加者の中で地域の方のメッセージを色紙100枚にまとめたものをプレゼントした一部です。

◇午後0時10分、道の駅「津山」に到着
ここで昼食となりました。 し、しかし 唯一の食堂が混雑していて、とてもじゃないですが、参加者全員が食べるのは困難!
ほとんどの人が、カップラーメンやパックの焼きそばを頬張るのでした。

◇午後1時20分、南三陸町のボランティアセンターに到着
朴施設長より、具体的な活動についての説明がある。


※真剣に説明をする朴施設長です。1班での苦労もしっかりと語られ、参加者も緊張のおももちで説明を聞きました。

◇その後、トイレなどを済ませ、明日への決意を固めバスに乗車。そしてホテルへ。
途中の風景も、いまだ手も付けられずにいる建物などをたくさん見ました。視覚として復興を感じるのはまだ随分先のような気がしました。


※このような建物は海沿いにはたくさんありました。本当につらい現実を目の当たりにして参加者も絶句でした

◇午後3時45分、ホテル望洋に到着
参加者みんな疲れはあったものの、5時より始まるミーティングまで自由時間を有意義に使っていました。
近隣の散策を早速された方もいたようで…。


※この写真はホテル近くの家にかけてあった時計です。時間は、あの震災があった時間…。
いまだ忘れることのない、時は止まったままなのでしょうか。
本当に無念さで心打つ瞬間となりました。

◇午後5時、ホテルにてミーティング
渡辺リーダー、朴施設長より注意事項などの話がある。このミーティングにて手袋やマスクの配布もある。
又、ここで、活動を円滑に行うための班決めがされました。
参加者30名を7名2班と8名2班の計4班となりました。
ミーティング中にそれぞれの班が、明日のTシャツの色を争っていました(笑)。
これ以降、毎日班ごとでTシャツの色を統一することが決定!毎回点呼をとる班長にとっては素晴らしい企画でした。

◇午後6時、夕食
少々冷めてはいましたが、大変おいしくいただきました。


※「美味しかったです!」参加者みんなの笑顔と決意が、調味料替わりとなり、さらにおいしくなったのかもしれません。

◇午後10時頃?、就寝。


◆<9月27日(火)>
◇午前6時45分、朝食。

◇午前7時10分、バス乗車し出発。
バスの中では、いよいよ活動を始めることに対し、良い意味で胸を膨らませる状態でした。
「私たちにできることは何なのか」、「少しでも力になりたい」…etc。
強い思いを感じるバスの中での1時間でした。

◇午前8時30分、南三陸町ボランティアセンターに到着。
参加者全員が「ビブス」を着用し、今日の作業先の「津の宮」行を確認。
実は、この時サプライズの予感を感じるメンバーが…、
そしてバスは一路「津の宮」へ。

◇午前9時45分、「津の宮」に到着


※「津の宮」の現場です。海は穏やかで、とても津波が来たとは思えないほど心地の良さを感じました。

◇今日の作業内容を確認。 この日は、参加者みんなで「土嚢つくり」の指示がありました。
これは「海苔」の養殖をする際重要となるアンカーだそうです。
これが結構重たくて、1袋役70キロ!!
テクニックじゃなくて、これは力自慢か、と思いきや案外詰め方には技術も必要でしたよ!
女性の方のほうが結構活躍していたような…。


※この方はボランティア指導者の方です。結構かっこいい方でした。
目の前にあるのが「土嚢袋(採石入り)」です。

朴施設長より、「2リットルは必ず飲むよ」と言われていましたが、なるほど水分補給の量としては適切でした。まさに、その位の仕事量でした。

◇疲れの見え始めた午後2時ころ、一緒に活動をしていた別のボランティア団体が被災地の方に歌を歌いたいということで全員集合。 
そこで、サプライズが!
彼らのチームは☆ヤングアメリカン☆  アメリカから来日。1か月ほど滞在しているとのことでした。そして、世界各国に歌やダンスを届ける活動をしているとのこと。
被災地の漁師の方と私たち支援メンバーは彼らを取り囲みながら、その素晴らしいパフォーマンスに耳を傾けました。
世界に一つだけの花」、「見上げてごらん夜の星を」を何とも言えない素晴らしい歌声で魅了し、漁師の方だけではなく、私たちもジーンをしたことを今も忘れられません。
そして、漁師より「アンコール!、アンコール!…」 の大合唱がおき、彼らが最後の曲として、「WINDING ROAD」をさらに熱唱。
ブログ著者として、「まだまだ世界、そして人間は捨てたもんじゃない!!」と痛感。
この震災は世界の心をも揺るがす大変な出来事だったと、そして絶対に復興しなければいけないんだと…。


※彼らの歌声、彼らの笑顔、そして彼らの思いはきっと被災地の皆さんに届いたはずです。 本当に至福の時をありがとう

◇午後16時20分、南三陸町ボランティアセンターを出発、ホテルへ
疲れのある中、感動を得た私たちは心地よい雰囲気でバスに乗車。
そしてもう一つのサプライズが…。
『♪あれから40年!〜』と大きな声で綾小路きみまろさんのライブがバス内で上映!なのでした。


◆<9月28日(水)>
◇午前7時10分、バスに乗車し出発
いよいよ活動二日目となりましたが、まだ参加者にはさほどの疲れも見えず、明るい雰囲気で現地へ向かいました。途中のコンビニでも、要領を得ていたため、飲み物の買い方も上手になっていました。

◇午前8時30分、南三陸町ボランティアセンターに到着
この日の作業場の連絡があり、「波伝谷(はでんや)」と決定。
再びバスに乗車し、現地へと向かいました。

◇午前9時30分、「波伝谷(はでんや)」に到着
この日は、作業内容を3つにわけるよう指示がありました。
(1)土嚢つくり  (2)うきの選別  (3)テントを張る
土嚢は昨日よりかなり小さいものだったため、やや負担減となりましたが、うきの選別やテント張りの担当者は結構大変だったんじゃないでしょうか。

◇この作業中、サポートに来て下さった漁師の方より、震災の時の生々しい話しを聞くことが出来ました。
家族との別れ、生まれ育った町の崩壊、そしてその後の生活の苦悩…。
私たちでは理解できないような、想像を絶する話しにただただ聞き入ることしかできませんでした。
それでも、明るく振舞ってくれる漁師の皆さん、勇気をもってお話しいただき本当にありがとうございました。

◇午後16時20分、南三陸町ボランティアセンターを出発、ホテルへ
三日目ということもあり、やや参加者にも疲れが見え始めていたような…。
それでも、途中のコンビニでは元気にアイスクリームを食べる参加者の姿も。


【三日目までを終えて】
私たちは本当に価値ある体験をしています。
「百聞は一見にしかず」この言葉をこれほど強く感じたことはなかったかもしれません。
現地の人の苦悩は想像を絶するはずなのに、常に明るく迎えてくれることに感激すら覚えます。「今度、愛知で地震があったら私たちが助けに行くからね」、この言葉にブログ著者は恥ずかしながら涙を流しました。
忘れてはいけない、そして伝えていかなければいけない。強く思います。

残り2日間の活動もきっと素晴らしい体験となるでしょう。強くたくましくなっていく参加者を見守っていきたいと思います。

《報告者:特別養護老人ホーム安立荘 荘長 制野 司》


◆今回の報告は、ここまで…。
 被災地ボランティアの活動場所は、現地のニーズ、活動の進捗状況、参加ボランティアの人数などにより日々変化しています。第2班の活動場所が、第1班と違うのはそのためなのです。しかし、それは他の参加ボランティアさんとの交流となり、地域の方々との貴重な出会いへと導いてくれたのですね。
 9月29日(木)以降の報告は、後日とさせていただきます。